4年間の振り返り 弐

 ・・・ネクタイを締めるなんていつぶりだろう。

長さの調整ができず、上手く締められやしない。

会社員時代に履いていた革靴を引っ張り出し、クリームを塗って磨き上げていく。
真新しいスーツ(のような少しフォーマルな服)に身を纏い、ふぅ、と軽く深呼吸。
胸元には議員バッヂ。
ホントはあまり付けたくないんだよなあ。

2016年11月30日。
気持ちを整えて初めての議場へ足を運ぶ。
ピンク色のフカフカした絨毯を歩き、自分の名前が記された立て札を
コトッ。
と立てて席につく。



一番 栗谷真吾
 


凛とした空気。
この独特の緊張感漂う場は、実はあまり得意ではない。

これから4年間この席で様々なドラマが生まれる場所。


・・・そんなドラマチックな下りで始まった初めての議会。


まず一番最初に決めたことは、議会としてのトップ(議長)を選ぶことでした。
議長は議員22名での選挙で選びます。

この議長、という役職はとっても重要なものなんだ、ということを4年間の任期で痛いほど味わいました。

過去のブログ

議長の不信任案が賛成多数で可決!!でも、、、



そんなこともあり、議長を誰にするかで4年間の議会運営に大きな影響を及ぼすことから、
いわゆる与野党間において議会の裏で激しい駆け引きがおこなわれました。
簡単に言うと、議員に対しての"根回し"です。

僕が議員になる以前は、与党と言われる議員が過半数を大きく超えた状況で、
議長の選挙でもいわゆる規定路線のもとに決められていたようです
ですが、今期は与野党の構図が大きく変わり、
議案によっては議会としての採決結果に大きな影響が及ぶこともありました。
そのため、事前の駆け引きで〇〇議員を議長にしたいので協力をお願いする、
とした根回しがかなり激しくおこなわれていました。

結果として議長選挙の当日の朝に大どんでん返しがあり、開票の結果
与党サイドの議員が議長となったわけです。


うわあ政治ってこういう世界なのか・・・。
と驚愕した記憶が鮮明に残っています。


過去のブログにも書いたように、本来は中立公正な立場であるべき議長というポスト。
ですが、議会運営において現議長の与党議員と野党議員に対する対応の「差」が
あまりにも違いすぎて、とても残念な出来事を数多く体験した4年間だったなあ、と個人的には感じています。
(議長、という立場でなければ悪い人ではない印象なんですけどね)



ちなみに、話が少し逸れますが、僕は自分自身は与党でも野党でもないと思っています。
「良いものは良い、悪いものは悪い」というスタンスを貫いてきたつもりです。
だから当然採決行動において反対することもあったので(といっても全ての議案の一部なんですけどね)、
職員の方々には野党として見られていたのかもしれないなあ。
何でもかんでも反対するつもりなんて全くないんですけどね。
「そうしたスタンスではないですよ〜。」
ということをきちんと伝えられるように、職員の方々ともっともっと人間関係を築く必要があった
と振り返ると感じます。
(何名かの職員の方とは少しは仲良くなれたのかな、と勝手に思っていますが 笑)
やはり市政運営の中心を担う職員の方々ときちんとコミュニケーションを取らないと、
どんなに良い政策を提案しても中々受け入れてもらえないのかな、と思います。
まあ、もちろんそれだけではありませんが。

また、議員同士のコミュニケーションについても同様です。
この4年間の印象として、政策についての賛否、というよりも
「アイツらが言うから反対だ」
(表向きはそのような理由にはもちろんしませんが)
といったような、理屈でないところで対立する場面があまりにも多かったような気がしています。


僕も、ある意味でその土俵に乗っかってしまった。

その土俵に乗っかってしまうことで、市をどのようにして良くしていくんだ、
という課題解決に向けた中身の濃い議論ができない状況を、自らの手で作ってしまった。

結果、この4年間、特に与党サイドの議員の方々とは議員の控え室でも会話に混ざらず(混じれず)、
表面的なところでの付き合いに終始してしまいました。

そうした人間関係の構築に力を注がなかったことは、僕の4年間の活動での大きな反省の一つです。



続く

北杜議会だより2016年12月臨時会号表紙より 

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